わたしが漫画家をお休みしていた理由「育休編」
わたしが漫画家をお休みした理由
続編です。
実は先日、「映画制作編」を書いて、さあ完成!と思ったら、なぜだかうっかり消えてしまいました。涙
てことで、漫画家を離れてたあいだの、映画制作関係のことは、またいずれ!苦笑
その代わり、漫画家をお休みした、もう一つの理由を、先に書いておこうかな。と思います。
それは、一言で、いまどきの言葉で言うなら、「育休」です。はい。
てことで、本日は「育休編」
わたしは「生涯一番の傑作は息子」と明言してはばからない、つける薬はないくらいの親バカなので、語り出すととまらなくなりそうで心配ですが、そこは気をつけます。汗
「彼」を宿した時、わたしは雑誌で、少年探偵団ミステリー漫画の読み切り連載を抱えてました。
妊娠が判明してすぐ「胎教に悪い」という理由で、ホラーのお仕事は、しばらくお休みしたものの、連載の方は断るに断れず、ツワリに苦しみながらも、ページ数を減らしていただいたりして、なんとか続けました。
それでも、締め切り前は、何度か、大きなお腹をかかえて徹夜もしました。
臨月の時も、ギリギリまで原稿が仕上がらず、産まれたのはなんと、担当さんに原稿渡した翌日。
みんなに「産まれる前から親孝行な子だね」と周りの同業者に言われました。
当時はまだ、イクメンと言う言葉もなく、旦那は基本、育児にほぼノータッチ。
更に、3歳になるまで旦那は、仕事の都合で、平日はほとんど出張で不在という、母子家庭状態でした。涙
仕方なく1歳から、保育園に、泣く子を預けて、朝からお仕事。
お迎えしてから、ごはんとお風呂、寝付くまで絵本の読み聞かせ。
寝付くのを待ってから再びお仕事。
というなかなかにハードな日々でした。
それでも、こどもが物心つかない程の小さい頃は、無我夢中で、なんとかなるものです。
しかし、ちょうどその頃から、雑誌の休刊や廃刊により、連載が突然終了、が立て続けに何社かあり、
シリーズものを描いてた雑誌も廃刊。
新たな気持ちで描いた読み切りが好評で、さぁ、コミックスが出たぞ、と思ったら、なんと倒産。
そう、それは、未だに続く出版不況のはじまりでした。
そのうち、編集さんから来る仕事が、どういうわけか、エロなものか、グロばかりになってきました。
一応、ホラーは描いてはいますが、もともとそんなに得意な分野ではなく、エロはもっと不得意なので、丁重にお断りすると、「今は仕事選べる時代ではない、贅沢なことを言ってたらやっていけない」みたいなお小言を言われる風潮になってきました。
元々描きたいものでなくても、多少苦手なものでも、ワガママ言わず、「仕事だから」と割り切って描く、という選択もあったのかもしれません。
でも、そんな時、「こどもが大きくなったとき、胸をはって、こどもに見せられるような仕事をすべき」と、助言くださるママがいました。
そのママは、漫画は漫画で良いけれど、貴方なら、漫画以外にも、いろんな表現の可能性があるのでは?と応援してくださいました。
また、ちょうどその頃、何人かのママ友から、「まんがや、おえかきを、こどもたちに教えてほしい。」と、お誘いをいただき、2001年より、子どものためのアートサークル「ストーンスープ(現在の「アトリエスマイルプラネット)」の講師を始めることになりました。
そうやって、わたしは、漫画の
お仕事が暇になってしまった時期を同じくして、「講師」という、新たな「生き甲斐」となるお仕事と出会うこととなったのです。
(実は同じ時期にもう一つ「似顔絵師」というお仕事にも出会うのですが、そのいきさつはまた後日。)
「講師編」に続く!