私が漫画家をお休みした理由

ここまで、わたしのざっくりとした生い立ちと、マンガ家になるまでの経緯を書いて来ましたが、漫画家になってからの苦労話はさておいて、ここで、「わたしがしばらく漫画家をお休みしていた理由」について、お話しようと思います。

これまでのブログをお読みいただければ、わたしが、女子美付属から大学までの4年間、ほとんどすべての文化芸術を「やってみた」ことはおわかりかと存じますが、実はひとつ、まったく触れなかった分野があることにお気づきでしょうか?

漫画家をお休み中、わたしは、ひょんなことから、「学生時代触れることのなかった分野」に取り組むこととなります。

それは「映画」です。

むろん、映画は、見るのは大好きで、特にSF映画が大好きでしたが、なぜか、自分とは遠い世界に感じていて、自らやってみることはありませんでした。

ただ、漫画家になってから、漠然と、自分の漫画が「映画」になることに、憧れを抱いてはいました。

そして、その憧れは、漫画を描いていく度に、徐々に増していき、1995年、NYでいただいた「ある言葉」をきっかけに、それは「夢」から「目標」に変わりました。

それは、1995年冬のNYでの出来事。

その頃の私は、代表作である少年探偵団ミステリー「Boys☆Project」連載中に結婚、出産。

漫画家としても、それなりに実績を積み、4冊目のコミックスが出る頃だったかと思います。

たまたまご縁があり、憧れのニューヨークに取材旅行に行った際、尊敬するミュージシャンに、自分の夢を語る機会がありました。

私はその時、彼に、こう言いました。

「わたしは漫画家です。いつかわたしの漫画が映画やドラマになったらいいなと思います。」と。

すると、彼は
「『いつか、〜なったらいいな』じゃ、夢は叶わないよ?」
「その夢を叶えるのは、他でもない自分。漫画を映画にするために、やるべきことをやる」でしょ?

まさに「目からウロコ」でした。

それまで、「映画」に関しては、自分では無理、他の誰かにやってもらう、しか考えてなかったのですが、そう言われれば、確かに、大学時代、自分たちで映画を、作っていた人がいました。

学生でも出来ることなら、わたしにも、その気にさえなれば、出来ないことはないのかもしれない。

すぐには無理かもしれないけど、とにかく、一から映画を勉強してみよう。

そう思って、帰国後、まずは以前から興味があり、得意だった写真と、脚本から勉強し直しました。

次に、実在の人物のモデルに、まずは写真を撮り、漫画の絵の代わりに写真を使った「写真漫画」を制作してみました。

それを編集に見せてみたところ、「面白いね!」となり、早速、雑誌に掲載してもらえることになりました。

そして、その「写真漫画」を見た友人の漫画家さんが「わたしの知人の監督さんが、あのモデルになった少年を映画に使いたいって言ってて。今度紹介していい?」と、声をかけてくださいました。

ご紹介いただいた、山田勇男監督との出会いから、これまで触れる事の出来なかった「映画」の世界に私は足をつっこむことになります。

人のご縁って、本当に不思議です。

最初は、山田監督の、映画の現場で、写真を撮るところから、勉強させていただきました。

ただ、最初に体験した映画の現場は、イメージよりもずっと厳しくて、朝から晩まで、休む暇もなく、殺伐として、怒号罵声が飛び交う世界で。

映画がそんな甘い世界ではないことがわかり、わたしは「これはとても無理。わたしの住める世界ではないかも」と、正直、がっかりしました。

ただ、その現場で撮影した、わたしの写真を見た映画のプロデューサー、寺山修司氏の義理の弟で、寺山修司記念館の主人でもある、森崎偏陸氏は、どうしたわけか、わたしの写真を、褒めてくださいました。

そして、次の映画の時、監督に、スチールとして推薦してくださいました。

また、その後、下北沢「ラカメラ」での、写真個展の企画まで、応援くださったのですが、そのあたりについてはまたのちほど。

私が最初に触れた映画は、いわゆる35ミリの「商業映画」の現場でしたが、次に「スチール」として、呼んでいただいた映画は、いわゆる「自主映画」それも、8ミリフィルムで撮影される映画でした。

初めての8ミリフィルム映画の、その現場の雰囲気は、当然ですが、大型の、商業映画とは全然違って、和やかで、繊細で、家庭的で、居心地の良いものでした。

また、完成した映画を見たとき、8ミリフィルムの持つ、えもいえぬ美しい風合いや、上映の際の映写機がカラカラと廻るレトロな雰囲気に、心を鷲掴みされて、わたしは「出会いたかった映画はこれだ!」と思いました。

そして、その頃から、立て続けに、描いていた漫画の雑誌が休刊、廃刊となります。

シリーズ連載や、四冊のコミックスを出した朝日ソノラマも、連載していたマガジンマガジンも、5冊目のコミックスを出したスコラも倒産となり、編集部は解散、お世話になっていた担当さんは失職し、漫画家としての仕事が、次々激減して行きました。

それは今も続く、出版不況の始まりでした。

基本、呑気なわたしも、さすがに
将来を案じ、「このまま漫画やってて大丈夫かな?」との不安を、禁じ得ませんでした。

「漫画以外に、自分が表現できることはないのだろうか?」ということを、真剣に考えた結果、しばらく漫画をお休みし、映画、映像の世界を本格的に勉強することを決意します。
(その決意をしたのには、もう一つ理由があるのですがそれはまたいずれ)

山田監督に、漫画とは違う名前をつけることを勧められ、写真、映画では、高遠瑛と名乗ることになりました。

最初は、自分の漫画の映画化を夢見てスタートしたはずでしたが、その時は、不思議と、自分の漫画の延長上の映画を撮る気持ちにはなりませんでした。

むしろ、せっかくペンネームも変えて、漫画家としての自分に決別したのだから、これまで描いた漫画では、描けなかったものを表したい、と考え、漫画とはかなり作風を変え、どちらかというと、エンタメ色を抑え、芸術性、精神性の高い映画を目指しました。

そして、そんな気持ちには応えて、手を貸してくださった、撮影、出演の写真家の首藤幹夫氏はじめ、素敵なキャスト、スタッフにも恵まれました。

その最初の映画が、白黒の8ミリフィルムで制作した「星の葬-ホシノマツリ-」(2004年)です。

先に触れた「ラカメラ」での写真個展「少年紀」(2003年)のモノクロ写真から派生したイメージそのままに、宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」へのオマージュを込めたこの処女作は、その後、仙台文学館の「宮澤賢治展」にて、上映され、所属されています。

その後、幾つかの短編を監督した後、いよいよ、長編映画に挑戦、となったとき、8ミリフィルム映画界に激震が走ります。

それは、FUJIFILMの、8ミリフィルム製造、現像の中止のニュースでした。
(後編に続く!)


今回、久しぶりに、それらの写真や映画の一部を、展示、上映することになりましたので、お知らせします。


✳︎イベントのお知らせ
横浜中華街
ギャラリーソコソコ
「ニイハオ!春節
イラスト漫画似顔絵展の中で

2016.2.11木祝
「宇宙」をテーマにした上映会を行います。
https://www.facebook.com/events/1547527715565880/

14:00〜15:30
\1500(ドリンク込)
プログラムA
*上映会「ALBIREO流星群Ⅰ」

「惑星のみる夢」
監督 SKY 5分

「アニメ版 宇宙宣機ナカノクンロボ全7話」
原作 金子将久
漫画 もりちゆう
監修 すぎやまゆうこ

「赤い蝋燭と人魚」40分
原作小川未明
切り絵 西村つみ
編集 中村隆一
監修 すぎやまゆうこ
朗読 中野航

「星のカケラ 水上遊園」10分
「HALCA」5分
「星ノ葬-ホシノマツリ-予告」
「ALBIREO予告」
監督 高遠瑛(すぎやまゆうこ)

*プログラムB
16:00-17:30
お茶会「魔法使いの弟子話茶会」
&「灯篭をつくろう!ワークショップ」
展示作家多数参加のお茶会です。
どなたでもお気軽にご参加ください。
もちより大歓迎!
参加費
\1500(ワークショップ&ドリンク&お菓子込)

*プログラムC
19:00〜20:30
上映会 「ALBIREO流星群Ⅱ」

「惑星のみる夢」
監督 SKY 5分

「アニメ版 宇宙宣機 ナカノクンロボ全7話」5分


「赤い蝋燭と人魚」ダイジェスト

「星ノ葬-ホシノマツリ-」25分
監督 高遠瑛(すぎやまゆうこ)

「ALBIREO予告」

※プログラムは都合により変更される場合があります。

\1500(ドリンク込)

「ALBIREO」は、宮澤賢治の名作「銀河鉄道の夜」へのオマージュを込めた、未完の長編8ミリフィルム映画です。

「星の葬」 予告
http://youtu.be/26JUHkRtvLI

「ALBIREO」予告
http://youtu.be/AmfqgCNk2Q4