私が漫画家を選んだ理由?続編

わたしの人生を変えた、二人目の作家さん、それは、宮崎駿監督。

私はラッキーなことに、彼に生で三回、お話を聞かせていただく機会を得ました。
(三回目はプロになってからなのでここでは触れません)

おそらく今、彼の名前を知らない方はいらっしゃらないと思いますが、私が最初にその名前を意識した中学の頃は、私の周りの人は、宮崎さんを殆ど知りませんでした。

中三の夏頃、友人に誘われて行った自主上映会で見た「太陽の王子ホルスの大冒険」に、すごい衝撃を受け、スタッフの一人である、宮崎駿氏の関わるアニメ作品を追いかけはじめました。

最初の生での出会いは、高一のとき。
未来少年コナン」放映時、女子美付属の友達に誘われて日本アニメーションのスタジオ見学出かけた時のことです。

宮崎さんのお姿は、それまでマニアックな雑誌の記事のインタビューなどで存じていましたから、実際に宮崎さんが、スタジオの片隅のソファで休憩?されてるのを発見したとき、わたしはついつい「あ、宮崎駿さんだ!」とつぶやいてしまい「え、なんで知ってるの⁈」と慌てて立ち上がるほど彼を驚せてしまいました。

彼は、お忙しいお仕事の最中、「作画監督、レイアウト」という彼のお仕事の内容を、わたしたち女子高生にもわかりやすいように丁寧に教えてくださり、その隔てない、あたたかなお人柄に感激しました。

その後、「ルパン三世 死の翼アルバトロス」
ルパン三世 カリオストロの城」を初監督。

当時、漫画家に比べ、アニメ監督は、インタビュー記事が多く雑誌に掲載されていたように思います。

おかげで、その作品の素晴らしさもさる事ながら、アニメ雑誌のインタビューから受け取る、宮崎監督の言葉や、生き方、考え方そのものに、とても感銘を受けました。

二度目の出会いは高三の秋。
ちょうど将来の進路に迷っていた頃、アニメ雑誌の片隅に、宮崎駿さんの講演会が、造形大学で開催されるとの記事を発見し、駆けつけました。

彼の言葉で、特に心に残ってるのは
表現者(クリエイター)になりなさい』

「職業」として、というより、「生き方」として、表現をする人生を選ぶという選択肢。
常にこどもの目線を忘れないこと。
散歩中のお子さんの視点に常にハッとされられる、というようなエピソード。

質疑応答タイムで
「将来、漫画家か、アニメーターか、迷っていて。高校卒業後、すぐにアニメーターとして就職するか、美大に進学するか、迷っています。」という拙いわたしの質問に、お答えいただいたお言葉です。

「君がなりたいのが、「職人」なのか、「表現者」なのかによると思う。」
「アニメーターは、いわば、「職人」なんだよね。指定された絵柄で、指定された演出を、正確に描き表さないといけない。
それに向いてる人もいると思う。
その中でごく一部、抜きん出る人もいるけれど、それは稀なことだと思った方がいい。」
「もし、君が「表現者」を志す人で、今すぐ就職しなくても、進学を許してもらえる環境なら、2年間、もしくは4年間、自分の「表現」を模索し、発見し、確立する時間を持った方がいい。それから「表現」のジャンルを決めても、遅くないよ。」

このお言葉は、まさに今、進路に迷っている若い方、すべてに伝えてあげたい言葉です。

「表現」を「生き方」と言い換えれば、すべての人に当てはまる言葉ではないでしょうか。

そんな言葉をいただいたおかげで、私は女子美日本画に進学し、自分の「表現」の可能性を、ジャンルを含めて、もう一度見直すことにしました。

また、そんな宮崎氏のお言葉を通して、悟ったことがあります。

真の『表現者』は、「生き方」そのもの、「魂」そのものが素晴らしいのだ、ということです。

その方自身が、「崇高な魂を持つ芸術品」そのものであり、「魂」を体現する生き方をしているから、生み出される「作品」が素晴らしくなるのだ。

だから、一流の『表現者』となるために、磨かなければならないのは、表面上の技術だけじゃない。

人間性」「精神性」「魂」「生き方」そのものなんだ。

そこで、わたしは、大学進学を機に、中高歩んできたオタク人生(苦笑)に、一区切りつけることを決意します。

立派な『表現者』を志すのなら、このまま二次元の世界だけに満足しているオタク人間でいてはダメだ。

この大学で、一番輝いている人が側に居る環境に身を置いて、真の『人間的魅力』というものを勉強しよう。

それはきっと、今後の私の『表現』に、役立つに違いない、と。

そして、大学の新入生歓迎会で、再びわたしは人生を変える出会いをすることになるのです。

それは、岡安由美子先輩と、『秘密結社G』というパフォーマンス集団でした。

わ、完結しない汗
次回に続く!