わたしが漫画家を選んだ理由 後編
萩尾望都先生を、皆さんはご存知ですか?
わたしの人生を変えた作品。
それは萩尾望都先生の「11人いる!」。
宇宙大学の入学テストにチャレンジする、若者たちの人間模様を描いたSF大作。
(ちょっとネタバレですが)テスト会場となる宇宙船に乗り込んでみると、10人で一組のはずのテスト生が、なぜか「11人いる!」という密室ミステリー。
次々起こる試練に立ち向かう、様々な星から来た文化や風習の違う若者たちが、とても魅力的で。
わたしがそれまで読んだ、どのSF小説や映画より、ワクワクさせてくれる物語でした。
その名前を知ってから、萩尾望都先生のそれまでの作品や、新作を必死に買い集めて、彼女の世界観にどっぷりハマってしまいました。
「漫画って、すごい!!」
わたしは、中1の夏にして、ようやっと、それまで漫画をバカにして、偏見の目で見ていた自分を、猛反省します。
もちろん、同じ雑誌の中にも、そんな作品ばかりではなくて、好みのもの、好みでないもの、いろいろな個性の漫画があることもわかって来ました。
当時は、花の二十四年組、といわれる、萩尾望都先生、大島弓子先生、竹宮恵子先生が全盛期の頃で、それらの漫画に心酔しました。
挙げればきりがないですが、週マ(週刊マーガレット)の池田理代子先生、別マのくらもちふさこ先生、ララの山岸涼子先生、花とゆめの三原順先生などの作品にも夢中になりました。
そして、やがて、どうしても漫画が自分でも描きたくなります。
描いた漫画は、ほとんどがオリジナルでしたが、好きが嵩じて、「11人いる!」の続編まで、勝手にノートに描いたりもしました。
見よう見まねで、ペンで漫画を描いては、それを連載ものにして、学校に持って行き、友達に見せる。
漫画好きな友達同士を集めて、同好会をつくり、回覧同人誌やコピー誌をつくる。
いきなりそんなことをはじめたわたしは、学校では浮きまくってましたし、イジメもありました。
その頃は、家庭内でもいろいろあって、辛い現実も味わいました。
ただ、そんな思春期の心の痛みを、「漫画」は忘れさせ、癒してくれました。
それがやがて
「わたしも自分の作品で、誰かを幸せにしたい。
誰かの痛みや辛さを忘れさせたい。」という思いに変わります。
「漫画家になりたい。」
「漫画」にはそれが出来る。」
「世の中のいろんなお仕事が、時計の歯車やゼンマイみたいなものだとしたら、わたしは、歯車やゼンマイではなく、それがスムーズに動くための、潤滑油のような役割をしたい。
人に夢を与え、心を潤す仕事をしたい。」
それが、漫画家なんだ、みたいなことを中二の頃、父母に訴えたような記憶があります。
一度興味を持つと、とことん深堀りせずにはおれない性格のわたしは、漫画の評論が載るような雑誌を、隅から隅までチェックしました。
自分の好みに合う作者を見つけて、その作者の作品の載る雑誌を買い、特に感動した漫画や作者については、作家別にスクラップ、コレクション。
更に、そうした雑誌に、たとえば尊敬する漫画家さんの原画展や、サイン会、トークイベントなどの情報が載ると、始発電車で会場に並び、原画を眺めて何時間も過ごしたり、ラジカセで、漫画家さんのトークを録音する、何てことまでやってました。(オタク過ぎます)汗
もっと本格的に、漫画の知識が得られる高校に行きたい!
女子美大付属高校の文化祭に行った時、漫研のレベルの高さに憧れて、受験を決めました。
偏差値が62以上あり、更に実技試験も伴う女子美付属受験は、漫画ばかり描いて、お勉強の方は、サボり気味だったわたしには高嶺の花でしたが、半年ほどの猛勉強と、実技の成績の助けで、なんとかギリギリで入学できました。
さて、憧れの女子美付属の「漫研」と、「アニメ同好会」をかけもちで入ったわたしは、三年間、絵に描いたような「オタク」な毎日を送ります。
知人のツテで、機会があれば、漫画家さんや漫画スタジオに見学にいく。
好きなアニメのスタジオに電話をかけて、スタジオ見学に行く。
好きなアニメの声優さんの収録を見学に行く。
好きな漫画雑誌の編集さんに、自分の漫画を見せに行く。
女子美付属の友達(特に付属中学から女子美に通う友達)は、そんなことを軽々と、ごく当たり前のように行動する人たちばかりだったので、「そんなことしていいんだー」と驚きながらも、わたしはどちらかといえば、ついて行く方の立場として、月一くらいでそんな感じのオタクツアー?を楽しみました。
美大付属高校の特色として、週に6時間もある美術の実技時間で、デッサン、水彩、油絵、彫刻、版画等あらゆるジャンルのアートを本格的に学びながら、先輩に教わりながら漫画を描き、アニメをつくるという、濃い毎日でした。
また、美術の成績だけはなぜか飛び抜けて良かったため、芸大への進学を考えて、予備校にも通い始めました。
ただ、「漫画」については、わたしの周りには、あまりにも才能溢れる友達や先輩が多すぎたおかげで、わたしはコンプレックスでいっぱいでした。
高校時代から編集部に持ち込み、担当がつき、デビューが決まる友人たちの作品に比べたら、わたしの漫画はまだまだでした。
こんなに世の中には才能がある人がいるんだ。
わたしなんかがプロの漫画家になるなんて、おこがましい思い上がりだったんだ。
中学時代の、怖いものなしの意欲は何処へやら。
わたしはプロになるより、好きな漫画を趣味で描いて、楽しむ方が向いてるのかもしれない。
高校時代のわたしは、そんな風に、自分の才能のなさに、少々諦めにも似た感情を抱きながら、とりあえずオタクな日々を楽しんでいました。
そんな頃、わたしの人生を変えた、もう一人の作家さんに出会います。
それは、宮崎駿さんでした。
完結編に続く!